ワークライフバランスの話が一往復したあたりで、パブリックとプライベートの境界線を探して思考がさまよい始めた。思考はそのまま、ネットにプライベートを出すということ、ネットで書いていいこと・悪いこと、という話へと進んでいく。

私はツイッターなどのSNS (social network service)では本名ダダ漏れ状態で、病理広報アカウントとは名ばかりのプライベートな発信を行っているが、時折フォロワーの方々から「そこまで身分を明かしているのによくそんな(あからさまなシモネタ)トークできますねえ」と感心半分、嘲笑半分のご指摘を受けることがある。

私がSNSを運用する上で普段から気にしているのは、職業上の守秘義務を遵守すること、私が診断している患者さんの情報が漏れたりしないように細心の注意を払うこと、同業者や異業種の方々が私のツイートによって過剰に不快な気分にならないように気を配ること。つまり他者が必要の無い不幸に陥らないことを念頭に置いているので、自分が多少ヨゴレる事についてはあまり頓着していない。もちろん、私自身の情報が漏れることで誰かが不幸になる(例えば家族、知り合いなどが間接的に中傷を受ける)のは問題なので、慎重に判断している……。

思い起こせば私はこのような言い訳を、いろいろなタイミングでいろいろなところに書いてきた。もちろん、書いている内容に納得してもらえるかどうかはわからないし、SNSのフォロワーさん達が情報あふれるタイムラインの中から私の言い訳をうまく拾って読むとも限らない。この先も不特定多数の方々から「ちょっとプライベート漏れすぎじゃないですか?」とか「本名出しながらシモネタ言うなんて」と指摘を受ける機会はなくならないだろう。

さらに。

情報発信において「私がどれだけ気を配っているか、慎重になっているか」は一番の問題ではないのかもしれない。私がどのような理論・どのような覚悟を持っていようと、ネットでプライベートとパブリックの区別がつかない人間はアホであり、シモネタを連呼する人間は下種(げす)であり、軽口を叩く人間はリアルでも信用出来ないと考える方々が、確実に存在する。私はこの感覚・感情を、「お箸を落としたら、洗うのではなく取り替えてほしい」というのと同じような「けがれ」に近い感情なのではないかと考えていて、おいそれとは否定出来ない、人間の根源的な感覚として、それこそ慎重に対処するべきなのかもしれないと思い始めている。

2014/01/21
YandelJ
病理医ヤンデル