前回届いた手紙の内容には完全同意。さて今回は「リアルでの付き合い」から連想したことをば。

私は現在、専門書の編集に携わっている。書き手の方々はいわゆる "物書き" ではなく、本職は別にある。そのため、書き手の負担を軽減する意味もあり、複数名に原稿をお願いする場合が圧倒的に多い。その際、書き手のとりまとめ役として "監修者" を決める。その1冊の本すべてにかかわる専門用語の使い方や書かれている内容の正しさについて、編集者は監修者に相談しながら制作を進める。なので、直接会って打ち合わせるし、制作が進むにしたがって連絡をとりあう機会も増える。

やり取りを重ねるうちに、監修者のモチベーションが高まっていく様子を感じることもある。私はこれが楽しくて仕方がない。気がつくと「監修者に楽しんでもらえるには」を中心に据えそうになることもあって、これは我ながら困った傾向だと頭を抱えている(以前も書いたが、最も大切にすべきは "読者" なので)。

一方、書き手にお目にかかることは非常に少ない。依頼はメールか書面で行うことがほとんどで、原稿のやりとりは1、2往復程度。次に連絡をとるのは「発刊のお知らせ」。……なんだか寂しい。そんなものだと言ってしまえばそうなのだけれど、袖触れ合うも他生の縁。せっかく出来たつながりを大事にしたいし、できれば書き手にも、携わった本に愛着をもってほしいと思うのは人情である。

そのための小さな取り組みとして、たとえば、以前この文通でも登場した一筆箋を活用してみたりする。あるいは、書き手が参加する学会や研究会を見つけては会いに行く。その際は、初めて顔を合わせるから緊張するし、コメントでのやりとり経験があるだけに何やら少し気恥ずかしくもある。これまでに何か嫌な思いをさせてはいなかったかという不安が頭をよぎりもする。そうこう思い巡らしているうちに待ち合わせ時間が訪れる

……直接お会いしては「はじめまして」ですねえ、原稿はどうでしたか、あの記述はおもしろいですね、あのコメントが勉強になりました、そういえば別の執筆者さんが……

実際に会ってみると、書き手にも確かに熱い想いがあることや、本に対するお互いの思い入れについて確認しあうことができる。どんな人間かを見知ってもらうことは、その後の作業に大いに影響することは言うまでもない……ここまで書いて、この流れは "オフ会" に似ている気がしてきた。

ついでにもう1つ、実際に会うことには「年齢がバレる」という効果もある。

「もっと、おばちゃんかと思ってました」

これは、ヤンデル先生にお会いした際に頂戴した感想でしたっけね、そういえば。

2014/02/11
nishino
西野マドカ