人のモチベーションをチョチョッと引き上げる、編集者とは "妖術使い" か、とでも言わんばかりのお手紙が届いたが、さにあらず。少なくとも、専門書の本作りにおいては。

前回申し上げたとおり、専門書を書く専門家の本業は "物書き" ではないことがほとんどだ。そんな専門家が、学術論文ほどには業績にならず印税も決して多額とはいえない(検索すれば大体のことがわかる、便利な世の中だ)わりに、辛く苦しく手間暇かかる "書く" という作業に敢えて自分の時間を割くことに対し、諸々の条件を納得ずくで「やる価値があるから、やる」と言ってくれてはじめて、多くの専門書は世に生み出される。このような方々の熱意には本当に頭が下がる。

と、つまりは編集者があれこれする以前に "そもそも志の高い書き手" なのである。もちろん、そこに水を差さない、できうれば多少なりとも燃料を投下したい……くらいのことは、編集者であれば気にとめているが、そこは相手もコチラも人間であるだけに毎回いろいろと悩むところなのである。妖術とは、何だろうか……。

さて、その一方で。自身が担当した書籍を読者が手にする瞬間に遭遇する編集者は滅多にいない(この側面に限っていえば、患者さんと病理医の関係性に似ているでしょうか)。では、編集者は何に "やりがい" を求めて日々の仕事に取り組んでいるのか。読みやすさの追求、用語の正確性を高めること、年間あたりの発行点数、担当書籍の売れ部数、意義のある出版物を世に送り出すこと……十人十色だが、仕事を通じて "その道のプロ" との信頼関係を構築していくことが、私にとっての大きなやりがいの1つになっているのはどうも間違いなさそうだ。

何度か一緒に仕事をした仲の良い著者が、業務連絡ついでに本人の専門分野のアレコレに関する情報をボヤキまじりで何通かメールしてくれたことがある。そのうちの1通が、私のほうで多少不快な出来事があったタイミングで届いた際に、勢い「愚痴になりますが、私もこんなことがあって……」と返信したところ、「貴方が愚痴るなんて、よほどだね」と一言の簡潔な返事をもらった。これをみて真っ先に「やってしまった」と落ち込みつつも、「あぁ、この人は私を "オトモダチ" ではなくビジネスパートナーとして見ていてくれたんだな」と嬉しかったし、自分が思い描くところの "真っ当な社会人" をやれていたらしいことが実感できて、少し胸をなで下ろしたことを思い出す。

……ときに。

誰かにやりがい、与えたいですか?
私のやりがいは、上のとおりです。
いつでもお声がけください。お待ちしています。

2014/02/25
nishino
西野マドカ