関係が途絶えると死ぬ。連絡が途絶えると死ぬ。ある臓器のある一領域だけを観察していてもそうであるし、人間を1体まるごと観察してもそうである。血管に血栓が詰まり、その先に栄養や酸素が行き渡らなければその部分は死ぬ。腸内細菌を強めの抗生物質で叩くと細菌叢を失った腸粘膜は弱っていくらかの細胞が死ぬ。チミジル酸シンターゼを阻害すればチミンが作れなくなった腫瘍細胞はいずれ死ぬ。その臓器、環境、細胞の内外にある関係を断つと死ぬ。

死を待っていた私の祖母は死の半年ほど前から徐々に周囲との関係性が希薄になった。家族・親戚は皆彼女を愛しており頻繁に彼女を見舞ったし、私も週に何度か病室へ足を運んだが、祖母は社会的な死へ向かってゆっくり着実に歩んだ。山の麓に寂しく建っていたその病院には、社会との関係性をゆるやかに断ち切られつつある老人達が力ないしわぶきを繰り返す音だけが響いていた。

私は祖母に近頃の出来事について話そうとしたが、祖母は古い記憶をひとつひとつ掘り起こしては丁寧に私に語った。彼女の104年間の人生に張り巡らされた細く複雑な関係の糸は、「関係者」が次々と鬼籍に入ってしまった今ではもはや彼女の脳以外には存在しなかった。私は初めて聞く祖母の過去を3日に1度ほど自分の脳に刻み、その入れ墨はしかし次の3日ほどで少しずつ風化して消えていった。彼女が死ぬ少し前、目線でしか会話できなくなった彼女から私は「(私の)弟にもよろしく伝えるように」というメッセージを受け取った。私はそれを自分の弟のことだと解釈したがあるいはそれは祖母の記憶のどこかに存在した弟のような誰かの存在であったかもしれないなと瞬間的に思った。祖母の葬式は質素に執り行われ、出席した子供達もまた少しずつ互いの関係を温めながら自らがまだ死んでいないことを確認した。

彼女は自宅の布団で死ぬことができなかった。高齢過ぎた祖母は死の直前まで自らに化粧を施せるほどしっかりとしていたが、自らが長らえたがために子供達もまた老いてしまい、食事や排泄などを自宅で管理するのは不可能となっていた。家を離れ、周囲との関係が薄れ、祖母の社会的な関係が緩慢に死んでいく様を見ながら、個体死とは関係から没することであろうと思われた。個体を生かすというのは関係を生かすことに等しいのだろうと思われた。私は直感的にそれがひどく残酷なことのように思われた。祖母の遺影は笑っていた。

2014/03/18
YandelJ
病理医ヤンデル