あらゆる疾病は、例えば「体内でとあるタンパク質が生成できなくなり、タンパク質の相互関係が破綻する」というように、科学的に解釈することが可能なはずである。疾病はとことん科学的に突き詰められるべきであるし、科学によって駆逐を図るべきである。生化学、生理学、病理学、薬理学など様々な学問が疾病を十重二十重に取り囲み、分子生物学的アプローチや医療統計学的アプローチも駆使して、医学界全体がヒイヒイ言いながら、疾病という凶悪な「物の怪」に対して有効な「銀の弾」を必死で探し出す。弾の素材をどうするか!どれくらいの数を、どれくらいの距離から、どの場所に打ち込むのか!疾病と闘うというのはそういうことだ。

医療者が患者の疾病と闘っている一方で。

患者もまた、疾病と闘うことになる。ただし、患者の闘う相手は疾病の「症状」だけではない。

ひとたび疾病に罹った患者は、その軽重にかかわらず、社会的に停滞し、家族間、職場、学校などでの人間関係が変わり、日常生活の修正を余儀なくされる。過去の言動に対する後悔や、将来に対する不透明感が現れる。何より、自らの生命に対する自信が失われる。

患者は、「不安」になる。 患者は、症状と共に不安とも闘う。

であれば我々医療者は、患者の不安に対しても闘おう。外来や病棟で複数回にわたり適切な説明を行い、患者が各スタッフとコミュニケーションすることは有効だ。「知らないこと」は不安の大きな種である。患者がこれから疾病と闘う上で必要となるであろう知識を教育・啓蒙しよう。今の自分の状態を適切に理解してもらおう。医療者が疾病と闘う際のタネを明かそう。疾病のシステムと治療の仕組みを分子生物学的に解説し、医療統計学を解きほぐしてデータの解釈方法を説明し、銀の弾はどう見出されたか、それをどのように打ち込むか、丁寧に話し合い、お互いに納得しよう。

不安は必ず、まぎれるであろう。
困難な道のりを、医療者だけで踏破するのはどだい無理なのである。
患者と協力関係を築くのだ。

ある日、患者はこう言うだろう。

「私の体の細胞に頻繁に起こるDNA修復エラーがたまたま集積して、年間どこかに必ず何人か発症するこの癌に偶然かかってしまったわけね。そして、私はこの抗がん剤を使えば5年間生きる確率が40%、使わなければ20%。すっかり理解したわ、ありがとう!」

理想的な「説明と同意」とは、これなのか。

私はしばしば不安になる。

2014/04/01
YandelJ
病理医ヤンデル