ふと思ったのだが、君の手紙は1,000文字をちょっと超えているではないか。私は毎回、句読点や接続詞を工夫しながらぎりぎり1,000文字以内で収めようと四苦八苦していたのに。どういうことだ。本企画がはじまった時のメールを読み返してみると、「およそ1,000文字」的ニュアンスが書かれてはいるが「1,000文字を超えるべからず」とは一言も書かれていない。私が自分に課していた1,000文字厳守ノルマは、私の脳内に棲んでいる「いちいち細かいことにうるさくエアリプでdisってくる鬼編集者」の架空の説教によりもたらされた幻であった。

悔しい。

「編集者というものは他職種の人間になんらかの枷を与える仕事である」という私の先入観が、ありもしない精神抑圧的四面楚歌促進型被害妄想を生み出していたのである。隔週火曜日に「1,000文字の壁」と激しい合戦を繰り広げてきた私の日々も全て色あせてしまった。これも全て編集者のせいだ。 この際である。今日はこのまま「編集者のイメージは悪い」という話をする。もちろん、今回の事変(1,000文字事変と命名)で株価はストップ安、売り注文が止まらない。

私の知る限りでの話だが、編集者というものは、面倒な事務仕事(といいつつ世の中の大半の事務系職員と大して変わらない量の事務作業)を友人外非公開Facebookや匿名Twitterなどで若干スタイリッシュ気味に愚痴るのが日常となっている人種である。自分で創作できるだけの知見も智慧もありながら決して創作側には回らず、「私は書く人を支え育てる側に回りたいのです」と、聞いていて耳の下のリンパ節が腫れそうなくらいの美辞麗句を平気で発射する図書委員である。世事に対する審美眼を銃刀法抵触レベルで鋭利に研ぎ澄ませ、猛禽類の目とネコ科の脚力をもってして旬の話題を血に染める一方、草食動物の亡骸的コンテンツから「まだ使える!意外な使い方ができる資材」をはぎ取っていつしか装備してしまう食物連鎖を超えたモンスターハンターである。狩りの合間にはフォントとか紙質、万年筆など文系心を綿毛でくすぐるような小アイテムに熱烈なラブコールを送ることも忘れない計算型天然である。

つまるところイメージは最悪、諸悪の根源の風格すら漂う「編集者」と類似している職業などこの世にあるものか。「愚痴りながら事務仕事に励み、支える側と言いながら司令室で指示を出す軍師気取りのちょっと小うるさいマイルドインテリ系くされオタク」というと、確か病理医という仕事が少し似(1,000文字)

2014/05/27
YandelJ
病理医ヤンデル